寂しさってなんだあっけなんだあっけ??
大人になると一人の時間ってすごく大事ですよね。趣味に使うも良し、大爆睡するも良し。いくら仲の良い人と一緒に過ごしているとしても、一人の時間の必要性はまた別のところにあったりします。
一方で一人の時間を寂しいと感じる人もいるようです。今回もマイナビウーマンさんの記事を参照しながら、「寂しさ」というものについて考えていきたいと思います。
さて、まずもって私の一人の時間を振り返ってみますと、現在細君とは諸事情があって別々に暮らしています。時々しか一緒に過ごせないため、家族とはいえ一人の時間が必然的に多くなります。仲良しなので、そして私がベタ惚れなので、大変寂しい思いをしていることも事実ではありますが、一人の時間を満喫する良い機会でもあると考えています。(^_^)/~ポジティブ
草野球に興じたり、読書をしたり、ゲームをやりこんだりと日頃のストレスを発散するのは、流石にアラサーにもなればお手の物です。ところが、充実した一人の時間も大変大切ではありますけれども、急に寂しくなってしまうこともありますよね。
マイナビウーマンさんのこちらの記事をご紹介させて頂きます。
少し主題とはズレますが、「ひとりで寂しい夜の過ごし方」ということです。どれどれふーんと読んでみると早速面白そうな個所が見つかりました。
「孤独」とは簡単に言うと“誰ともつながっていないような感覚”を指します。これに基づけば、クリスマスにひとりで過ごすというリアルなひとり状態を孤独というのではありません。大勢で過ごしていても「この中の誰とも人間的なつながりはないのだ」と本人が感じれば、それが「孤独」な状態なのです。
なるほど。これは深いですね。人間的つながりを感じることができなければ、人は孤独、寂しさを感じてしまう。イメージ的にはさっきまでガヤガヤしてたのに、パーティが終わってみんな帰った後に、ふと寂しさを感じるというのが想像されますが、パーティ中にも「あれ?おれこの人たちとはこの場だけのつながりなんだ」と認識した途端に孤独を感じてしまうということでしょうか。
更に
フロイト理論で言うと、孤独を感じたことがない人はこの世にひとりもいないことになります。人間が孤独でない時間は、母親の胎内にいて、母とへその緒でつながっていた時間だけ。人はこの世に産まれた瞬間からひとりで荒波に放り出されます。その瞬間から「個人」として息をし、食べ物を摂取し、寝て、社会と交わって生きていかなければなりません。
つまり、忙しい日常生活ではあまり感じることがないけれど、実は「生きる」ということはすべてひとりなのだということをふと思いだした瞬間に感じる気持ちが孤独感情の正体。したがって、忙しい日々から一時的に開放される夜は孤独を感じやすい瞬間なのかもしれません。「孤独」と付き合っていくのは生きる者のさだめと言えるでしょう。
出ました。フロイト先生。
流石ガツンと来ることをおっしゃいますね。この世に生まれ出でた瞬間より人は一人で生きていかなくてはいけないということですか。いやはや、世知辛いものです。
ところでフロイト理論って何でしょうか。
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すいません、調べたんですけどよくわかりませんでしたWWWWW
フロイト先生の心理学におけるポイントは
このあたりのようです。
わかりやすいように短くまとめてくださったホームページが見つかりましたので、ご紹介いたします。
<参考ページ>
以下、引用です。
(前略)しかし、意識だけをいくら研究しても、人間の心はたくさんの矛盾や不可解をはらんでおり、すべてを線でつなぐことは不可能です。フロイトは、意識だけでなく無意識についても合わせて研究することで、多くの人間の心、行動が線として説明できる、と主張しました。
つまり、人は意識的な部分しか認識しておりませんが、人の行動や感情は意識的な部分だけでなく"無意識的な部分"も大いに反映されてしまっている。そのため人は無意識に「人は一人で生きるものだ」とプログラミングされているのがベースにあって、時々ふとした時にそれを思い出して孤独を感じてしまうと。マイナビウーマンさんの引用箇所最後の一文がこちらです。
したがって、忙しい日々から一時的に開放される夜は孤独を感じやすい瞬間なのかもしれません。「孤独」と付き合っていくのは生きる者のさだめと言えるでしょう。
なるほどなあ。社会的な役目を帯びて意識的に生きている日中とは異なり、夜はスイッチをオフにして一人の人間に戻る時間なのですね。そこで無意識的に「一人で生きていくんだ」と考えが至り、孤独を感じるということですか。ほほう。深いなあ。
以上がマイナビウーマンさんの記事から「寂しさ」について考えてみた内容です。しかし実際自分を振り返ると、そんなに寂しさを感じないんですよねW
なんだそりゃって感じですが、最後の最後に惚気させて頂くならば、我が細君がいつも優しく私を思いやってくれているからだと思います。いつもありがとう。
ああ、愛おしい人よ。